遺言と登記 法改正の前後で正反対の結論に
1 遺言と登記の関係について改正民法が施行されています。
民法の相続分野の改正がありました。遺言と登記の関係でも大きな改正点があり、令和元年7月1日以降に発生した相続について改正法が適用されます。
この改正点を通じて思い出したことがあります。
2 まだ20世紀のことでした。
ある地方都市にある家庭裁判所の小規模支部で裁判所書記官をしていたとき、一般の方が来庁されました。
受付業務を担当する書記官は、このようなとき、どのような問題を抱えておられるのか概要をお伺いします。あくまで受付業務に付随してお伺いするだけです。裁判所は真ん中に立たなければならないという建前がありますから、法律はこうなっているとかあなたはこうするのがよいなどといったような来庁者(以下では「相談者」とお書きします。)に対するアドバイスめいたことはしてはいけません。このような業務を当時は「家事相談」といっていました。今は「家事手続案内」といっています。
3 相談者のお話
相談者のお話をお伺いし、資料を確認しましたところ、次のとおりでした(実際の事案を単純化しています。)。
- ⑴ 相談者の母が遺言を残して死亡した。その遺言にはA不動産を相談者に相続させるとの記載がある。
- ⑵ A不動産について、⑴の遺言に基づいてA不動産の登記を相談者の母名義から相談者名義にしようとしたら、すでに相談者と相談者の兄が2分の1ずつ共有する相続登記手続がなされていた。
- ⑶ 相談者としては、A不動産の登記名義を遺言どおりにしたいという意向を持っている。登記手続をお願いした司法書士からは「家庭裁判所に行くように。」と言われた。
4 改正点
このような場合、相談者の兄には、A不動産について遺言どおりの登記名義にするための更正登記に応じる法的な義務があります。この点は、民法改正の前後を通じて変わりません。
では、さらに進んで、相談者の兄が他人Bに対してA不動産の共有持分2分の1を譲渡して登記名義も移転したときはどうでしょうか。
民法改正前は、相談者の勝ちです。他人Bは、相談者からの更正登記請求に応じる義務がありました(最判平成5年7月19日判例タイムズ875号93頁)。
一方、改正民法が適用される事案では、他人Bの勝ちです。相談者はA不動産を遺言どおりに単独取得することはできなくなります(民法899条の2第1項)。改正の前後で結論が正反対なのです。
5 改正民法適用事案における対応
兄がいつ登記名義を他人に移転するか分かりません。兄が共有持分の登記名義を他人に移転する前に、処分禁止の仮処分申請を行う必要があるでしょう。その後、兄に対して更正登記手続を請求することになります。
6 家事相談担当者としては
4「改正点」にお書きしましたとおり、20世紀(に限らず、改正民法施行前に相続が発生した事案)においては、他人が兄から登記名義の移転を受けても、相談者は他人に対して更正登記を求めることができました。20世紀の私は、家庭裁判所の受付担当者として、相談者に対し、相談者の兄を相手方とする家事調停の申立てをすることが考えられるという趣旨の手続教示をしました。取り返しのつかないことになるというわけではありませんから、これで誰かの権利が損ねられるということにはならないでしょう。もっとも、実際に兄名義の共有持分登記が他人に移転すると、紛争が複雑化し、もめる可能性がさらに高くなります。他人が存在する事態を防止するため、処分禁止の仮処分の手続を行うのが望ましいです。
改正民法適用事案であれば、速やかに弁護士に相談してはいかがかという趣旨を告げていたと思います。
7 裁判所職員の限界
このように、3のお話を伺ったときに、裁判所職員は「処分禁止の仮処分を行い、その後兄に対して更正登記を求めるのが一番早いな。」と思っても、それを相談者に伝えることは許されていません。受付業務の範囲を超えています。真ん中に立っているとはいえません。
良い悪いではなく、このような枠組みの中で定年まで仕事をしていくことに疑問を感じた契機の1つだったのかもしれないなと、改正点を通じて思い出したエピソードをお書きしました。
※上記記事は、本記事作成時点における法律・裁判例等に基づくものとなります。また、本記事の作成者の私見等を多分に含むものであり、内容の正確性を必ずしも保証するものではありませんので、ご了承ください。
執筆: 弁護士 佐藤寿康